1m20cmの高さの石垣。なぜ、この建物はこんな高い石垣の上にあるのでしょうか? 肱川とともに生きるこの町では、その恩恵と同時に被害も受けてきました。とくに昭和13年と昭和20年の大水害では、町全体が大人の腰の高さまで水に浸かったほど。石垣の上にある建物は、貴重な財源である木蝋の原材料を保管する蔵でした。昔から大洲では「大事なものほど高いところに」と言い伝えられてきました。今でこそダムや堤防の工事が進み浸水するようなことは滅多にありませんが、町を歩いて高い石垣の家を見つけたら、そこはかつて誰かの「大事なもの」がしまわれていた場所かもしれません。