信仰は溶岩の上でも続く

霧島神宮の建物は、外観より内部の方が豪華である。これは、神様がいる場所を何よりも立派にするためだ。内部の龍柱(りゅうばしら)や壁画は国宝に指定されたほどである。その内部の様子は、霧島神宮の人でさえ滅多に見ることができない。見たことがあるという人は、その時のことを「ただ畏れ多いと感じた」と振り返る。

参拝所から、その奥にある本殿を見る。よく見ると、社殿が溶岩の上に立っていることがわかる。それは、かつて高千穂峰(たかちほのみね)の西側にそびえる御鉢(おはち)火口の溶岩がここまで流れてきた証拠だ。もっと山麓(さんろく)に建てたほうが安全なのにそうしないのは、できるだけ天孫降臨(てんそんこうりん)の聖地・高千穂峰の近くに建てたいという信仰の強さゆえだろうか。

霧島神宮は、霧島連山の噴火のたびに移転を繰り返してきた。この場所に移ったのは、15世紀のことだ。以後も何度か焼失しているものの、およそ300年前に薩摩藩のお殿様の寄付で建てられた社殿が今も残っている。この社殿は、お殿様の城と高千穂峰を結ぶちょうど直線上にある。このことも、霧島への強い信仰の表れと言えるだろう。



写真1枚目:霧島神宮本殿
写真2枚目:溶岩の上に立つ社殿
写真3枚目:境内で存在感を示す御神木

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