「不毛の地」、だからこそ

霧島連山の麓(ふもと)には、火山灰や軽石でできた「シラス台地」が広がる。非常に水はけが良いゆえに、稲作が難しい。そんな「不毛の地」でもシラス台地の下から湧き出す水を巧みに利用して稲作が行われており、霧島には稲作にまつわる逸話がある。

天孫降臨(てんそんこうりん)の神話では、瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)は稲穂を持って地上へ降り立ったが、深い霧に覆われて道を見失ってしまった。その時、この地に古くから住む二人組(大鉗(おおはし)と小鉗(おはし))が現れ、こう伝えたという。

「手にしている稲穂を籾(もみ)にして、あたり一面に蒔いてください」。

助言に従うと、たちまち霧が晴れた。こうして、瓊々杵尊は無事に地上界へたどりつくことができたとされている。

ここ「狭名田の長田」は、瓊瓊杵尊が作った日本最古の水田と伝わっている。毎年ここで、霧島神宮の祭事として、春の田植えと秋の豊作を祈願する「御田植祭(おたうえさい)」が行われる。実際に田植えをして、収穫した米は伊勢神宮にも奉納される。

また、霧島を含む南九州には「田の神」信仰がある。春、山の神が里に降りて田の神となり、豊作をもたらすと信じられているのだ。この風習は18世紀ごろにはじまった。当時の霧島では、度重なる噴火や天災によって、農民たちが不作にあえいでいた。少しでも多く収穫できるよう、人々は石像を心の拠り所にしたのだろうか。

厳しい自然の環境だからこそ、祈りも強くなるのだろう。周囲の農村でみられる神話や民間信仰も、火山がもたらした文化と言えるのかもしれない。



写真1枚目:収穫が終わった狭名田の長田
写真2枚目:収穫が終わった狭名田の長田

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