かつての信仰の場

霧島神宮は、噴火により移転を繰り返してきた。かつて霧島神宮が建っていた場所、それが古宮址と元宮だ。

高千穂河原(たかちほがわら)にある古宮趾には、先代の霧島神宮があった。平安時代、天台宗の僧侶・性空上人(しょうくうしょうにん)が、高千穂峰(たかちほのみね)を囲むように6つの神社を建てた。霧島神宮もその一つであり、当時、霧島は多くの僧侶の修行の場として栄えていた。

石段を登り鳥居をくぐった先には、石造りの斎場(さいじょう)がある。祀(まつ)られている御神木(ごしんぼく)はまだ若く、幹が細い。周囲を見回すと、他の木々も同様に細いのがわかる。それは、ここが噴火で一度焼け野原になったからなのだろう。

斎場の先を見上げると、大きな噴火口を持つ御鉢(おはち)がそびえ立つ。この御鉢のすぐ先に、「元宮」がある。初代の霧島神宮があった場所で、その社殿は1500年近く前に建てられたという。

元宮まで行くには、古宮趾からの登山になる。多くの登山者は、元宮からさらに登り、高千穂峰の頂上を目指す。

頂上には、「天之逆鉾(あまのさかほこ)」が刺さっている。昔、天の神々が、霧に覆われた海の中に島が見えたので、しるしをつけるため、その島に一本の鉾を落とした。その鉾が、高千穂の山頂に突き刺さったと伝わっているのだ。

そのレプリカが、登山口にある高千穂河原(たかちほがわら)ビジターセンターに展示されている。体力に自信がある人は、ぜひ山頂で実物を目にしてほしい。



写真1枚目:高千穂河原にある、霧島神宮の古宮址
写真2枚目:高千穂峰山頂に立つ天之逆鉾

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