丸く大きな茶色い壺。あなたにはどんな風に見えるだろうか。
この壺は「呂宋助左衛門」という堺の商人によって、フィリピンのルソン島からやってきた。港の物資を保管する倉庫を管理していた呂宋は、商才を活かして貿易商を営んだ。そして持ち帰った壺を天下人・豊臣秀吉に見せたところ、「なんと珍しいものを!」と大喜び。名だたる大名もこぞって壺を買い取った。
当時、茶道を嗜むことは武士のステータスだった。功績をあげた褒美として茶器が与えられ、その価値はぐんぐん上がっていった。貿易商として名を馳せた呂宋だったが、過度な贅沢を秀吉に咎められ、東南アジアに逃亡して亡くなったという。
呂宋助左衛門だけではない。黄金の日日の時代を彩った堺の商人の中には、かの千利休がいる。呂宋と同じく物流を司る商家の出であり、後に全国に名を知られる茶人となった。
利休は、魚を入れる魚籠(びく)を花入れとして用いたという話がある。本来の用途とは違ったものを茶道の空間に用いて、新たな意味を生み出すことをよしとした。堺の茶人たちは文化人たちの知的遊戯として茶道を愉しんでいたのだ。そして、珍しい舶来品が手に入る国際港・堺だからこそ、できる茶の愉しみ方でもあったのだ。