一里塚とは、道の距離を示すもので、一里ごとに道の両側に土を饅頭のように盛って松やエノキを植えて作られていました。馬越峠にある一里塚は道の片側にしか残っていません。現在は石積みがすこし見られる程度ですので、よく見ないと見過ごしてしまいます。
尾鷲の一里塚は300年ほど前に紀州藩が整備したという記録が残っていますが、この一里塚も同じ頃に造られました。今の距離に直すと4キロごとに置かれていました。

一里塚は、旅人が目的地に到着する距離の目標になりましたし、タクシーのように駕籠に乗せて運んでもらう際は料金の目安にもなりました。

東海道の一里塚は日本橋が起点ですが、紀州藩が設置した一里塚は和歌山城が起点となっています。馬越峠に続く次の峠には二種類の一里塚がありますが、そのうちの一つは当時のままで、道の両側に残っています。


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