匠宿を流れる川を渡って施設の外へ繰り出すと、道路が目に入る。この道は「古代東海道」。旧東海道が整備される前、江戸時代よりも昔は、この「古代東海道」を使って人が西へ東へ絹や織物を運んでいた。

匠宿の南側に広がる丸子は、「丸子宿」という宿場町として知られている。しかし、旧東海道よりも前は、この「古代東海道」が広がる「泉ヶ谷」こそ交通の要所だったのだ。

道路を挟んだ反対側には「吾作商店」という駄菓子とおでんのお店が目に入るだろう。その横にひっそりと佇む立札に目を凝らしてほしい。そこには「丸子城跡」と書いてある。

この「丸子城跡」。土塁や堀が今も残っていることから、実は知る人ぞ知る名所となっている。

ここは戦国時代に駿河国を治めていた今川氏の家臣によって建てられ、その後は今川氏の拠点となっていた駿河府中の西の入り口を守る城として使われていた。

武田信玄が駿河に攻め入って以降は、駿河の西側を攻略する上での拠点としても使われていた。その後は徳川家康公のもとへと明け渡され、1590年には城そのものが廃止された。

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