そびえる山に向かってレールが伸びている。これはみかん専用の一風変わったモノレールだ。
現在、一般に「みかん」として知られている「うんしゅうみかん」は江戸時代、徳川家康公が駿府城に植えた「お手植えのみかん(小みかん)」が始まりで、その後、研究と改良を重ね、現在に至る。
大正末期から昭和初期には、毎年秋になると、東北から出稼ぎの人達(移動班)がみかん切りに来てくれて、みかん農家を支えてくれた。
昔は、収穫したみかんを山から天秤棒で担ぎ出したが、その後、索道を引くようになり、さらに、農道を作り、その農道まで運ぶためにモノレールが引かれた。40年ほど前のことだ。
これで急勾配な坂から運ぶ重労働から、働く人々の負担は軽減された。
全国でも有数のみかん一大産地を支えたのは、東北の人達の協力と、このモノレールのおかげではないだろうか。
ここで一度、ここまでの道のりを思い返してみてほしい。いたるところに、はちみつ店の看板が掲げられてはいなかっただろうか。
このはちみつは、みかん畑と密接に関わっている。
地域の方々の努力によって、泉ヶ谷には自然が残され、さまざまな樹木や草花に囲まれている。花が咲き誇る時期には、蜂が草花の蜜を吸いに来て受粉の手助けをする。
おかげで良質なはちみつが取れ、泉ヶ谷の名物となっている。