ヒントは中2階、龍神様の掛け軸の後ろにあたる廊下の突き当りに「薄宮奥社の文言(1950年に制作)」が掲げられています。それは普通の文章ではなく、歌の歌詞になっています。一体、何を歌っているのでしょうか。
実は、明神館の近くに薄宮神社の奥社(1784年に創建)があります。明神館ができるより遥か昔からある神社で、この神社には数年に1度、ご神木を山から運び下ろしてくる神事があります。そのとき、この歌を歌いながら運んでいくのです。そこには道中の情景が歌われていて、奥社までの道のりが目に浮かぶようです。最後には温泉があることも歌われているのですが、現在の明神館が建てられたのは1931年。温泉自体はそれより昔からありました。当時は、野に湯が湧き出す野湯だったといいます。薄宮神社の神事のために、重たいご神木をまるで天手力男命のように運んできた人たちは、その疲れを温泉で癒やしていたのかもしれません。
こうして、この場所に温泉が湧いていることは知られていたのですが、あるとき、農家の村人たちは湯治場をつくることにしました。しかし、こんな山奥の湯治場です。やがて管理する人がいなくなり、当時の村長だった斎藤家が自身で守っていくことにしました。そのために松本市内にあった長屋を売り払って資金にあてたといいます。そうして現在の明神館が完成し、有名な作家が書斎にしていることが知られ、たくさんの人々が訪れるようになりました。予約システムもない時代です。たとえ、宿が満室だったとしても、こんな山深くまで歩いて来たお客様を拒むことはできません。仕方なく押入れやお風呂場に寝てもらっていた時代もあったといいます。
現在はそんなこともありませんが、山の温泉に浸かり、山の薪で暖をとり、山で採れたものを食べる、すべてがこの山の恵みで成り立っていることは変わりません。斎藤家は龍神様との誓いをもとに「この土地を使わせてもらっている」という考えで、すべてのものたちの癒やしとなる場所を守り続けています。
明神館の温泉は野湯のころと変わりません。自噴しているお湯に配管をつないでいるだけでポンプも使っていないのです。明神館の温泉には立ち湯や寝湯がありますが、湯は上からではなく下から静かに湧き出しています。そうして乱れのない水面に反射する空や山の緑、あるいは雪景色の中に身体を浸していると、自然と一体化したような感覚になります。
明神館の主人は温泉療法士。あちこちに癒やしのための工夫が隠されているのですが、あれこれ考えるより身を委ねるだけで良いことでしょう。