「来いとゆたとて行かりょか佐渡へ佐渡は四十九里波の上」これは民謡「佐渡おけさ」の一節です。四十九里は約200kmを意味しますが、実際の距離は50kmほど。なぜ、このようなギャップが生まれたのでしょう。民謡が伝わったのは江戸時代。当時の人々にとって、佐渡への船旅はそれほどまでに遠く感じられたのでしょうか。

松尾芭蕉もまた、こう詠んでいます。「あら海や佐渡に横たふあまの川」命懸けの船旅を終えて上陸を果たすと、生きていることを実感するような星空が広がっていた。そんな光景を思い描くこともできますが、芭蕉自身は本土から佐渡を仰ぎ見てこの句を詠んだといいます。日本中を歩いた芭蕉ですら佐渡は遠い存在だったのかもしれません。

今でこそジェットフォイルで1時間の船旅ですが、その星空は今も変わっていません。芭蕉が夢見た島の星空を体感してほしいと思います。

その前に、まずは佐渡島の全体像をお伝えしましょう。佐渡島は日本海でいちばん大きな島です。島を一周するには車でぶっ通しで走り続けても7時間はかかります。その島の形は「洋上に浮かぶ蝶」と評され、ふたつの山の間に豊かな平野が広がっています。

佐渡には少なくとも1万年前から人が住んでいたとされています。奈良時代には一国として認められ、やがて島流しの流刑地となり、順徳天皇、日蓮聖人、世阿弥などが流されました。それから、金の価値が広まるとともに金山の開発が進み、江戸時代にゴールドラッシュが到来。日本海を結ぶ交易船、北前船の寄港地としても栄えました。やがてそれらのブームは去ったものの、豊かな土地が残り、森林も大切にされたことからトキが日本で最後に生息した島となりました。古代よりさまざまな人の往来があった佐渡には、能や鬼太鼓などの独特な文化が根付いています。

こうして、島のなりたちを説明しただけでは頭が追いつかないかもしれません。ただ、心配はいりません。この芸術祭の作品は佐渡の過去の記憶を掘り起こし、現代アートとして再構築したもの。あなたもその作品を通じて、ひとつひとつの歴史や文化を再発見していくことができます。そして、普通の旅行では足を踏み入れないような場所にまで足を運び、佐渡の新しい魅力にふれることになるでしょう。

能や歌舞伎といった伝統芸能は、背景を知っているかどうかで理解度が変わります。芸術祭の現代アートも同じ。作品の理解は背景にあるストーリーを知ることで変わります。だからこそ島の物語を下地にして、自由にアートと向き合ってほしいと思います。

その物語とは、どういうものなのか。「さどの島銀河芸術祭」のなりたちを通じて、具体的にご紹介しましょう。この芸術祭は、あるひとりの佐渡人の想いからはじまりました。彼は東京で働いていたのですが、帰省するたびに寂れていくような佐渡島を見て「何とかしたい」と思うようになりました。そして、2016年に地元の同級生とともに実験的な芸術祭を開催することにしました。そのとき、彼は自らもひとりの作家として作品をつくることにしたのです。

果たして、どんな作品をつくったのでしょうか。作品の下地になったのは彼の地元である両津に根ざした物語。そう、この船が行き着く先の両津港の湖にまつわるお話です。

むかしむかし、その湖には「目一つ入道」と呼ばれる妖怪が住んでいました。
あるとき、入道が陸に上がって日向ぼっこをしていると、ふと、近くに馬がつないであるのを発見しました。いたずら好きの入道がその馬に乗って遊んでいると、折悪く、馬の主が帰ってきました。怒った主は入道を捕まえて近くの柳の木に縛り付けました。水中では無敵の入道も陸では無力だったのです。あわてて入道は命乞いをします。

「どうか助けてください。助けてくれたら毎晩、魚を瑠璃の鉤に通して、この木にかけておきます。ただ、瑠璃の鉤だけは返してくださいね。」

主は悪くない取引だと思い、入道を解放することにしました。その晩、湖に行ってみると約束通りたくさんの魚がかけてありました。主人は喜んで魚を受け取り、瑠璃の鉤は湖に投げ返しました。すると、その翌晩も、さらに翌晩も、たくさんの魚がかけてありました。しかし、その話を聞いた商人がこう言うのです。

「その瑠璃は価値がありそうだ。どうかそれを湖に返さずに私に売ってくれないか。」

主は欲深くも瑠璃の鉤を高値で売ってしまいました。それから入道は魚を持ってこないばかりか、毎年、大勢の手下を従えて主の家を襲うようになりました。その恐さに耐えられず家に引きこもった主は気がおかしくなって死んでしまいました。その様子を見ていた村の人たちは目一つ入道を恐れ、お堂を立てて入道にお詫びをしました。それから入道は現れなくなりましたが、今でも湖のほとりにあるお堂では村の人だけに伝わるお祀りが執り行われています。

この物語を題材にして、彼はひとつの作品を完成させました。牡蠣の殻で湖から道を作り、目一つ入道の物語が目に浮かぶような作品だったといいます。今はもうその作品を見ることはできませんが、さどの島銀河芸術祭では、このように佐渡島の歴史や文化に根ざした作品が展示されています。

目一つ入道の物語という背景を知った上で作品と向き合うように、作品と佐渡の物語の両方を楽しんでほしいと思います。

芸術祭のなりたちの話を続けましょう。ひとりの佐渡人の想いと、その作品からはじまった芸術祭でしたが、時が経つにつれて作品数も増えていき、今では島内外のアーティストによるさまざまな作品が展示されています。彼らは実際に佐渡島を訪れ、佐渡島を学び、佐渡島の人たちと酒を飲み交わしながら作品制作を進めていきます。そうして完成した作品は、その土地に根ざし、その場所になくてはならないアート作品として、佐渡と深く結びつくことになります。

そうして、過去を掘り起こし、忘れられつつあったものが未来に受け継がれ、残ったものが宝となる。佐渡に受け継がれてきた能や鬼太鼓がそうであるように、現代アートが媒介となって未来につないでいく。そんな作品群が佐渡という島宇宙に銀河のように散らばっています。

それらのアートを通して佐渡を見る、あなたのまなざしもまた佐渡にとっては貴重なものになることでしょう。ぜひあなたが感じたことを旅の途中で島の人たちに語ってみてほしいと思います。もちろん、アートをめぐるだけではなく、ドライブしながら、ごはんを食べながら、湖のほとりに佇みながら、ふと自分を見つめ直すような瞬間が訪れるかもしれません。果たして、芭蕉が夢見た島の星空に、あなたは何を見るのでしょう。これからはじまる佐渡島の旅をぜひお楽しみください。

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