日本の有名な民俗学者である柳田國男がこの地域を訪れ、石見さんという人物に会おうとした際、周囲の人々から「このあたりはみんな石見さんだから、苗字を言われても誰かわからない」と返されました。その理由は、島根県の石見銀山のある石見地方から移住してきた人が多かったから。明治になって苗字を決める際、誰も彼もが石見という苗字を名乗ったのでした。
移住してきた人の多くは漁師であり、新たな生活を求めて海を渡ってきたといいます。佐渡島は日本海を通じて各地とつながっていたため、そのような移民は珍しいことではありませんでした。
姫津では今も簡単に「石見さん」の表札が見つけられることでしょう。そして、佐渡の家には「石見瓦」と呼ばれる瓦も見られます。ぜひ赤茶色の屋根も探してみてください。