それから明治時代になり、鉄道が敷かれたことで、保津川は貨物の道としての役目を終えます。

そのときの線路を使っているのがトロッコ列車です。その証拠にここから見える明治時代の橋桁はレンガで作られています。この線路はのちにJRの線路が新たに敷かれたことで廃線の危機に陥りましたが、トロッコ列車として蘇りました。この舟からしか見えない橋桁があるように、トロッコからしか見えない保津峡の姿もあることでしょう。

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