鎌倉時代の末期、後醍醐天皇は鎌倉幕府を倒そうとしましたが失敗に終わり、隠岐の島に流されてしまいました。そんな状況の中、後醍醐天皇をよく支えた武将こそ楠木正成でした。隠岐から脱出した後醍醐天皇を出迎えて、再び京都に向かいます。この行列はそのシーンを再現しています。
楠木正成は、時代祭に登場する歴史上の人物の中でもいちばんの見どころと言う人が多く、身に着ける鎧甲冑もひときわ豪華です。掲げられた旗にもご注目ください。楠木正成はその功績から天皇から菊の御紋を使うことを許されましたが、それはあまりにも恐れ多いことであるとして、菊の花がゆっくりと水に流れる美しい家紋にアレンジして使用するようになったとも伝えられています。
その後、後醍醐天皇は足利尊氏とも手を結び、鎌倉幕府を倒すことに成功します。しかし、その恩賞をめぐって尊氏と対立。戦いに敗れ、奈良の吉野に逃れて「南朝」を開きます。これが南北朝時代のはじまりであり、後醍醐天皇から見た歴史観では吉野時代ということになります。時代祭は天皇制が強まった明治時代に始まった祭りであることも大きく影響しています。