慶光院清順上人(けいこういんせいじゅんしょうにん)の死後にその徳を慕い建てられた不動明王像の供養碑があります。

慶光院清順上人の名前を初めて聞く方も多いと思いますが、戦国時代に130年間途絶えていた伊勢神宮の式年遷宮を復活させた、もの凄い功績のある尼さんです。

荒れ果てた寺社仏閣を再興するために全国を回り浄財を集めた清順上人は、今の熊野市紀和町の丸山千枚田の近くに庵(いおり)を構えていましたが、荒れ果てた伊勢神宮の宇治橋や本殿整備のために足しげく伊勢路を通いました。尼さんが伊勢神宮に入れない時代に多くのバッシングをものともせずひたすら浄財を集め続けて、ついに遷宮を成し遂げた信念の女性です。前回の式年遷宮の費用が550億円といわれることからも、その苦労がわかります。

なぜ、この場所に供養碑があるのでしょうか。この場所は険しい八鬼山越えを終えて清順上人が休憩した場所なのでしょうか。いずれにしても清順上人の供養碑を建てるのに相応しい場所だったのでしょう。ちなみに、先ほどご紹介した町石も清順上人との関りが深いとされています。

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