九木峠と三木峠の間に建立された日輪寺荒神堂は1300年以上前に修験者阿闍梨(あじゃり)により開基されました。長い間荒廃していた日輪寺を再興したのが各真(かくしん)という修験者です。各真は八鬼山を根城にしていた山賊を退治して治安を守りました。各真が水を欲しがる巡礼者のために呪文を唱えると荒神堂近くに「神明水」と呼ばれる冷たい清水が湧き出てきたといわれています。
母子が山賊に襲われる歌舞伎や浄瑠璃で有名ですが、近くには各真の教えを引き継ぎ山賊を退治した山伏の墓があります。荒神堂の横には荒神茶屋がありましたが食事の提供や土地の酒、餅、草鞋(わらじ)、きざみたばこなどを売っていました。特に饅頭が名物だったようです。疲れた体に饅頭や餅は元気を与えたことでしょう。
八鬼山越えの二つ目の峠の三木峠のあたりに頂上があります。道標は40/63ですので4キロほど登ってきたことになります。ここから先は下り坂です。
三木峠にも茶屋がありました。八鬼山越えは距離が長いので桜茶屋、荒神茶屋、三木峠茶屋、十五郎茶屋と多くの茶屋がありました。旅人も茶屋を見ると安心したことでしょう。
江戸時代の紀行作家である鈴木牧之(すずきぼくし)は総勢8人を連れ立ってこの道を歩きました。三木峠ではイタダキといって頭に男性顔負けの重い荷物を載せて運搬する逞しい土地の女性の力強さに驚いて歌を詠んでいます。この地方では最近まで国内でも最後のイタダキの風習が見られました。
昔は茶屋から海が見えたらしく鈴木牧之は「春寒し見下ろす海の果てしなき」という句も詠んでいます。またこのあたりは狼もよく出没して巡礼者を襲ったので、九鬼浦の庄屋さんが尾鷲から鉄砲打ちを呼んできて狼を退治した記録が残っています。
このあと、江戸道と明治道に分かれていますが、明治道は谷に架かる橋が落ちたので現在は通行できません。昔ながらの江戸道でさくらの森広場を経由して十五郎茶屋を目指しましょう。