名柄一里塚を過ぎたあたりから続く猪垣は江戸時代に鹿や猪から田畑を守るために築かれたものです。高さ2メートル以上ありましたが、今は所々石垣が崩れています。この地域の石垣の総延長は数百キロに及ぶとされていますが、まるで万里の長城のように石垣を積んだ人々の苦労は大変なものだったでしょう。
平野の少ないこの地域では山を開墾して田畑を作ったために鹿や猪に農作物を荒らされることが多かったので、こうした苦労をしてまで猪垣を築いたのです。猪垣を作るのには大変な労力と時間がかかったため、農民は年貢米を納めることができず代官に免除を申し入れた記録もあります。
古道の石畳も猪垣も大量の石材を使いますが、周辺の山には岩が豊富にあるので石材は現地調達できました。