そんな折、姫様は私ども侍従の頭・清原マリア殿の話に関心を持たれました。マリア殿は元は公家のお家柄でありながら、姫様と意気投合し、侍従頭として使えており、長崎の宣教師からキリスト教の洗礼を受けてマリアと名乗っていらっしゃいました。
「我を慕うものは闇を行かず、ただ命の光りを持つべし」
絶望のどん底で、人として生きることの虚しさを感じておられた姫様に、マリア殿はキリストの経典の言葉をことあるごとにお伝えしていました。
「移り変わりの激しい人の世で、いつも天主に心を傾けていれば翻弄されることはない」
姫様はキリスト教の言葉に生きる希望を見出されたようでした。
幸い時間はたくさんありました、元より聡明な姫様は、キリストの経典をすべてそらんじてしまわれました。
厳しい冬を越した頃でしたでしょうか、 天下を取った秀吉公のお許しがでて、姫様も私どもも山を降り、大阪に住まうことができました。
姫様は忠興様や御子様に久しぶりに会うことができ大層お喜びでした。そして姫様のキリスト教への探究心は留まることを知らず。忠興様が戦に出ている隙に、ご内密に教会へ赴き、その後マリア殿を通して洗礼を受け、キリシタンになってしまわれました。
洗礼名は「ガラシャ」。異国の言葉で「ご恩寵」という意味だそうでございます。