秀吉公がなくなり、家臣であられた徳川家康殿と石田三成殿がそれぞれ東軍・西軍として天下を二分し対立をはじめました。
どちらにつくかでお家の命運がかかる一大事。細川家は家康殿に従うことになりました。
ところが、ここでまた、困ったことが起きたのでございます。
家康殿が東北に忠興様を向かわせることにしたのです。
対する三成殿はその力を誇示するため、家康殿に従う武将たちが東北へ向かう間に、
急遽、大阪に住まう武将たちの妻子を人質にとることにしました。
ご出発前に、忠興様はガラシャ様に「けして誰の人質にもなってはならぬ」と言い伝えておられましたから、ガラシャ様もそのお言葉通り、三成殿の人質になることを断固として拒否されました。
三成殿は烈火のごとくお怒りになり、無理矢理にでもガラシャ様を人質にしようと、館に兵を差し向け、取り囲んだのでございます。
ガラシャ様は「神様がお守りくださる故、私がなんとかいたします、皆のものは生き延びなさい」と私たち侍従や家来、家の者を館から逃げさせると、家に火を放たれました。
そして白装束をお召しになり、十字架の首飾りを身につけ、短く祈られるとキリストの教えにならい、ご自身で自害なさることはせず、警護をしていた者(小笠原小斎(おがさはらしょうさい))に自らの胸を槍でつかせ・・・・お果てになったのでございました。
「散りぬべき時知りてこそ世の中の花も花なれ人も人なれ」
三成殿は ガラシャ様のその壮絶な死を聞いて畏れをなし、人質作戦を断念。そのため多くの武将の妻達は人質になることを免れました。
ガラシャ様は、その身を挺して多くの人々をお救いになられたのでございます。
またこの死が、関ヶ原の戦いで東軍の武将を奮い立たせ、徳川公の天下統一にも繋がったそうでございまする。