冷たい夜風が吹きすさぶ江戸の町。静まり返った闇の中に、突然、太鼓の音が響き渡ります。これは、300年の時を超えて語り継がれる物語「忠臣蔵」のクライマックス。赤穂城の城主が切腹させられた敵討ちとして、赤穂浪士47人による命を賭けた討ち入りがはじまるシーンです。
ことのキッカケは、太鼓の音から遡ること約2年前。赤穂藩の若き藩主にして赤穂城の城主であった「浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)」は、大切な儀式の礼儀作法を学ぶため江戸で、礼儀作法に詳しい「吉良上野介(きらこうずけのすけ)」から指導を受けていました。しかし、吉良上野介は「こんなことも知らないのか」と浅野内匠頭を小馬鹿にして嫌がらせを続けます。「この間の遺恨、覚えたるか!」ついに堪えきれなくなった浅野内匠頭は吉良上野介を刀で斬りつけてしまうのです。
吉良上野介は額に傷を負ったものの一命を取りとめました。しかし、浅野内匠頭の行動は大罪とされ、その日のうちに切腹が命じられます。この処分には多くの人たちが驚きました。というのも、遺恨があったということは、喧嘩とみなすべきであり、当時は「喧嘩両成敗」といって、争いごとが起きたら双方に罰を与えることになっていました。しかし、なぜか吉良上野介はお咎めなし。この不公平な裁きに、浅野家の家臣たちは深い憤りを覚えます。
それだけではありません。浅野内匠頭が無念の死を遂げたあと、浅野家は取り潰しとなり、浅野家の家臣たちは城下町から出ていくことになりました。あまりに急な出来事に家臣たちは散り散りとなり、路頭に迷います。新しい生き方を模索する人もいましたが、浅野家の筆頭家老であった「大石内蔵助(おおいしくらのすけ)」は、ある決意を胸に抱きました。それは「主君の敵である吉良上野介を討つ」という想いでした。
大石内蔵助は、吉良上野介に悟られないよう密かに準備を進めていきます。あるときは酒を飲んで遊興にふけり腑抜けになったふりをしたり、またあるときは、敵を欺くには味方から。あえて「吉良上野介を討つことはしない」と家臣たちに断言します。そのことに対し異議を申し立て強い意志を示した者にだけ、「実は……」と真の計画を打ち明けました。そうして、最後に残ったメンバーが47人の赤穂浪士でした。彼らは死ぬことを厭わない覚悟で、すべてを賭けた一夜に臨みます。
そして、ついに太鼓の音が鳴り響き、討ち入りの日を迎えるのです。「続きは後編のガイドをお聞きください」と言いたいところですが、その前に。
「忠臣蔵」は、実際に起きた「赤穂事件」をもとにつくられた物語です。とはいえ、これまで紹介してきたあらすじは、ほとんど史実であると言われています。しかし、確かではない部分も混じっています。それが、「吉良上野介が浅野内匠頭に嫌がらせをした」という部分です。つまり、「なぜ浅野内匠頭は吉良上野介を斬りつけるに至ったのか」その理由はいまだ明らかになっていないのです。そんなことをすれば、残された家臣が大変な目に遭うことは予想できたはずです。それでも斬りつけずにはいられなかったのは、どんな止むに止まれぬ事情があったのでしょうか。
あくまで真相は分かりませんが、これから赤穂城をめぐり、その背景を知りながら想像をふくらませてみてほしいと思います。