赤穂という名前がはじめて登場するのは奈良時代。このあたりは古くから塩が作られていたといいます。その技術は江戸時代になる頃に飛躍的に進歩します。その立役者が池田家=姫路城にいた人たちです。しかし、赤穂は当時も今と同じような県境に位置し、隣の岡山県、備前藩からの侵略に備え、池田家は塩の産地である赤穂を守る必要がありました。そのために城や城下町を築こうとしたのです。
しかし、急転直下。池田家の藩主が「にわかに発狂し、妻を刺し殺す」という大事件が起きます。このことにより、池田家は身分を剥奪され、新しい藩主として浅野家がこの地にやってくるのです。