新しい藩主として赤穂にやってきた浅野家。浅野家は徳川家と仲が良かったこともあり、新しい城を築くことが許されました。当時、このあたりは海に面した中洲のような場所で、本丸の場所に池田家が残した小さな屋敷があるだけでした。そこに浅野家は埋め立てを進め、二之丸や本丸を整備。1661年に赤穂城が完成しました。忠臣蔵の浅野内匠頭の祖父にあたる初代・浅野長直の時代です。浅野長直は人柄も良くたくさんの家臣を雇っていたといわれます。三之丸には大石家などの重臣が住み、二之丸には長直の娘をめとった大石内蔵助の大叔父が住んでいました。本丸は城主のほか、重臣たちが働く仕事場でもありました。