赤穂城は当時の最新の軍学によってほかの城では見られないような工夫がなされています。たとえば、本丸門から見える石垣は非常に複雑な形をしています。なぜ複雑な形をしているか分かるでしょうか?
ヒントは、まる、さんかく、しかく、の順で並ぶたくさんの狭間。狭間とは鉄砲や矢で迎え撃つための穴です。これらを複雑な石垣と組み合わせると、どうなるでしょう。死角がまるでないのです。あなたが立っている場所から、自分が狙われていることを想像してみてください。逃げ場がどこにもないことが分かるのではないでしょうか。
このような最先端の城を築くには相当な費用がかかったのかもしれません。赤穂城が完成したのちに城主となった二代目・浅野長友の時代になると、経済的に苦しくなり、家臣を減らすことになったといいます。そのような背景で、三代目の浅野長矩もとい、忠臣蔵の浅野内匠頭が誕生します。