ここは本丸御殿の間取りを原寸大に復元しており、体感することができます。

浅野内匠頭が吉良上野介を斬りつけたのは江戸城での出来事だったので、赤穂城にその一報がもたらされたのは事件から5日後のことでした。その後も次々に速報がもたらされます。浅野内匠頭の切腹、浅野家の取り潰しと、信じられない出来事が続き、当時の筆頭家老であった大石内蔵助はどれほど驚いたことでしょう。

大石内蔵助は新たな情報が入るたびに家臣を集め、みんなで会議を開きました。その場所こそが、ここ「大書院」です。100人の家臣が集まって「自分たちも切腹して主君に殉ずるべき」「籠城して城を枕に討死すべき」「今すぐ吉良の屋敷に斬り込もう」とさまざまな意見が飛び交ったといいます。しかし、大石内蔵助には別の思惑がありました。それは、浅野内匠頭の弟を中心に浅野家を再興すること。そして、吉良上野介にも何らかの処分を幕府に願い、主君の無念を晴らすこと。その想いを胸に、みんなを説得して無抵抗で城を明け渡したのです。

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