決意を心に決めた大石内蔵助は、真の覚悟があるメンバーを選ぶため、さまざまな方法で仲間をふるいにかけます。その過程で半分以上の仲間が去っていったといいます。そうして、最後に残ったのが47人の赤穂浪士でした。
たとえば、吉田忠左衛門。大石を支えるブレーンのような存在で、夜な夜な吉良上野介の屋敷を偵察しながら討ち入りの作戦を練ったといいます。火消し、つまり消防士の姿をして火事場に駆けつけるように見せかける作戦も吉田のアイデアでした。
しかし、討ち入りに参加しなかった家臣たちについても想像してほしいと思います。彼らはどんな想いで大石と袂を分かち、どんな人生を歩んだのでしょうか。
それに、赤穂事件でいちばん変わったのは赤穂かもしれません。城下町に残った赤穂の市民たちは事件をどのように見ていたのでしょう。現在の赤穂の人たちは赤穂浪士ではなく「赤穂義士」と呼びます。そこには誇りが込められています。城下町で赤穂の人と会話する機会があれば、その想いを尋ねてみてはいかがでしょうか。