ー自己紹介お願いします。
アーティストの八幡亜樹です。主に写真や映像を使い、リサーチに基づいた作品制作をしています。また、今回の作品に関連した背景としては、藝大を出た後に自分にとっての芸術を追求するために医学を学んだ経緯があり、芸術活動が主軸ですが、医療現場でも働いています。複数のテーマに取り組んでいますが、その一つとして、「医術としての芸術」のあり方なども考えています。
ー鑑賞者にどこを特に見て欲しいですか。
全ての要素の関連と交差を見ていただけたら良いなと思います。この作品は、東洋医学的に見た時に、現代人に多い「肝」という気質に焦点を当てて観光旅行をし、「肝」を巡る一つの旅を、質的に異なる三つのロードムービーで表象しています。三つというのは、一つは、実際の地理的な京都観光。二つ目は、身体の経絡をめぐる旅、すなわち東洋医学における施術。三つ目は、観光した人の心理的な旅、ここではリリックとして現れたものです。
それらの三つの旅が、鑑賞の中で重なったり離れたりする重層性やその隙間に、鑑賞者の方も、自身の身体を滑り込ませたり重ねたりして、体験してもらえたらいいなあと思います。
ー本作品の制作に至った理由、経緯を教えてください。
医療の現場で働いていると、近代医学では限界を感じることが多々ありました。特に、慢性的で原因のはっきりしない症状は、西洋医学では対応に限界があると感じていました。そういった中で、東洋医学的な身体の捉え方や、経絡というものに関心を持ちました。経絡は人体の中に通っている道(ロード)と捉えることができると思い、それを辿ることはある種のロードムービーだと思ったのです。「ロードムービー」は私にとって、美術的な探求テーマのひとつなので、その概念を拡張するという意味でも、経絡を実際の地理的な旅と重ねてみたいという着想が生まれました。今回は京都のホテルでの展示だったので、京都観光と経絡を重ねることに必然性を感じました。(*1)
(*1)本制作では、中根一 先生(鍼灸Meridian烏丸)より東洋医学に関する様々な知見をご教授頂くとともに、観光プランの作成や施術に至るまで多大なるご尽力を賜りました。
ー作品を通じて伝えたいことはありますか。
作品を通して伝えたい核になる部分は、東洋医学の有効性の話ではなく「医術は自分で作るものだ」ということです。西洋医学的な発想だと、医療の専門家が患者に医術を提供する、という発想や構造になりがちですが、一番有効な医術は、自分で自分の腑に落ちる心身のストーリーを描き、組み立てることだと思っています。そのためには、「自己の身体を捉える方法を一面化せず、多角的かつ重層的に捉えることができると、身体と創造的に向き合っていくことができるのではないかと思います。(*2) そういった観点で、東洋医学と芸術は、西洋医学や現代社会に対して同類のポジションであると感じていて、これを拡張的に言えば、「芸術も医術になる」ということです。
(*2)本作における、一つ旅を三つの捉え方へと展開し、その三つを同時的に体験する重層性をもたせることには、自らで医術を開発し、生きる力を拡張する工程のシミュレーション、あるいはケースレポートのような意味があります。
ー制作の上でのこだわり、工夫点を教えてください。
今回、「肝」のエリアを写すリアルタイムの映像を展示し、そこに別途、制作した字幕を重ねているのは強いこだわりです。
私の今のテーマとして、「いかに命の隣で芸術を実践できるか」ということがあり、これはそのことを表象してもいます。
一つは、ライブカメラの中を歩いている人や、今まさに、「肝」のエリアを観光している人たちの命の隣に想像力を巡らせることで、いまここにある自分の身体を超えて、空間拡張的な作品体験を促しているということです。
もう一つは、東洋医学的に見て、「肝」の人は肝の場所に同調することで、過剰になっていた心身の調律を取ることができるという考え方があるので、観客にもリアルタイムな「肝」と同調できるセッティングを提供しているということもあります。
また「映像の生命」ということも考えていて、そのことへの糸口にもなる構造だと思っています。
ー映像の生命や、映像と医学とのつながりをもう少し詳しく教えてください。
まだ言語化が追いついていないところもありますが、現時点で言えることとしては、「身体、あるいは人間が憑依した映像」のことではないかと思っています。私は、映像は生命そのものになりうるという感覚を以前から持っていて、特に、カメラのブレなど、映像が人間の身体感覚と強く一体化している時にそういったものを感じてきました。今回の作品で初めてライブカメラを取り入れましたが、単純にライブカメラで配信しただけでは映像は生命をもちません。人間の身体が憑依していないからです。しかし、ライブ映像の上に、人の語り・字幕を重ねることで、ライブ映像はある種の身体性を獲得し、さらに、字幕以外の、作品全体の作用によって初めて、ライブカメラの中に映っている人の身体やその捉え方が浮き彫りになり、観客と映像が同調し、映像が身体に憑依されるではないかと思います。このように、美術的な文脈で「身体が憑依した映像とはどのようなものか」を考えることが、立ち返って、人間の身体を発見したり、解剖していくことになるのではないかと考えていて、そこにも芸術と医術の繋がりや可能性を見出せると思っています。
八幡亜樹
《京都”肝”光》
2024
映像インスタレーション|映像・字幕映像(10mins.42sec.)
ライブカメラ映像、写真、ほか
東洋医学協力:中根一(鍼灸Meridian烏丸)
旅人・詩:途真
参考図書:陰陽五行で京都を巡ろう(中根一 著)
システム協力:脇原大輔
機材協力:時里充、Twelve.inc
観光通訳:中村美香