商店街の先に走る能勢街道。西の方角には、隣の川西市へ向かう呉服橋がかかっている。西国33ヶ所札所の寺を結ぶ巡礼街道にあったことから、明治までは巡礼橋と呼ばれていた。
池田には能勢街道、巡礼街道、そして京都から九州までを結ぶ西国街道が走っている。西国街道は京都から九州までを結ぶ長い幹線道路。西の東海道といってもいいかもしれない。街道を行き交う人の中には、九州からやってきた旅芸人の姿もあった。
大阪は今も昔も、芸の本場。九州からやってきて芸人として名を上げるには、大阪でウケないと。そんな地方からやってきた芸人の腕試しの場でもあったのが、呉服橋の南にあった芝居小屋「呉服座」。歌舞伎をはじめ、落語、講談、漫才などさまざまな演芸が催され、昭和末期まで多くの人を楽しませた。
一度閉館したが、現在の場所で江戸時代に建てられた建築様式を一部再現した大衆演劇の劇場「池田呉服座」として生まれ変わり、大衆演劇の常設劇場として今なお、地域の人々に愛されている。当時の呉服座は国の重要文化財となり、愛知県の野外博物館「明治村」に移築され、当時の姿を見ることができる。
多くの芸人を見届けてきた池田は、芸ごとのことはじめにぴったりの場所なのかもしれない。