エンターテインメントのことはじめ

ニュータウンのことはじめ、阪急電鉄の小林一三は室町住宅をつくっただけでなく、自らの自宅を池田に構えた。現在、その場所は小林の事績を紹介する小林一三記念館、一三のコレクションを集めた逸翁美術館、阪急電鉄関連資料や宝塚歌劇・歌舞伎を中心とした演劇の資料などを閲覧できる池田文庫がある。小林は池田でニュータウンを開拓しただけでなく、数々のエンターテインメントを生み出した人でもある。

少年だけで結成された音楽隊にインスピレーションを得て、女性だけが出演する新しい形式の劇団・宝塚歌劇団を立ち上げた。野球にも関心が高かった一三は、豊中運動場を建設し、そこで現在の全国高校野球選手権大会の前身となる野球大会が開催される。一三は、のちにプロ野球チームも設立した。

さらに世界初となる鉄道会社が運営するターミナルデパートを開業。名物は、当時大人気だったライスカレー。一三はコーヒー付きで25銭という格安で提供した。世界的な不況が起こったころ、ライスだけを注文し、備え付けのソースをかけて食べる人もいたという。ライスだけを注文されるのでは商売にならない。しかし、その話を聞いた一三は、むしろ歓迎しろと言った。ここでの楽しい思い出をきっと人々は忘れないだろう。いつか生活にゆとりに出たときに、家族を連れてまた帰ってきてくれるはずだと。

小林一三はエンターテインメントのことはじめの人。宝塚歌劇の脚本を手がけたこともある。実は学生時代、小説家を目指していた一三。小説家は諦め、銀行員、そして事業家へと歩みを進めていったが、結果的にその時の努力は無駄にはならなかった。自らが描いたストーリーを形にし、映画や演劇などの娯楽を大衆が楽しめるように昇華したのだ。

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