〜1867年11月26日〜

この家には、約200年前に京都で造られた茶室があり、迎賓館として使われたといいます。それともうひとつ、重要な部屋があります。それは「御手洗条約」が結ばれたとされる座敷です。

幕末になると、長州藩と近い関係にあった広島藩も倒幕運動に参加します。あるとき、広島藩と長州藩は御手洗に軍艦を集めます。そして、この日、その座敷で広島藩と長州藩が打ち合わせを行い、その夜のうちに京都に向けて出港していったといいます。この行動が実を結び、幕府は倒れ、明治維新がはじまることになるのです。しかし、幕府軍と新政府軍の最後の戦いにおいて、広島藩はどちらの側にも立たないという選択をしました。そのため、勝者となった新政府軍の功労者の枠から外れてしまい、蚊帳の外に置かれることになります。

ところで、どうして御手洗でそれほど重要な打ち合わせが行われたのでしょうか。そして、どんな会話をしたのでしょう。ここは本土から離れた島であり、さまざまな人が行き交う港町。だからこそ、御手洗は秘密を交わす隠れ蓑としても、ちょうどいい場所だったのかもしれません。

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