〜XXXX年X月X日〜

御手洗に港も民家もなかった時代、村上水軍で知られる海賊のような人たちの軍事拠点があったのではないか。それがこの場所では、と言われています。御手洗は今も昔も広島と愛媛の県境。軍事的に重要な場所で海賊同士の争いも絶えず、常にどちらかの領地をいったりきたりしていました。そのため見張り台が築かれていたという人もいます。

この石垣もまた戦国時代に豊臣秀吉が四国を攻めるときに加藤清正に築かせたという説もありますが、定かではありません。いずれにせよ、御手洗に埋め立てが進んで港がつくられるまでは、ここに海岸線があったことが伺えます。そして、ここから海側を見ると大きな楠が立っています。その楠は樹齢350年といわれています。それが本当だとすれば、御手洗に港が築かれた当初に植えられたことになります。歴史の真実は誰にも分かりませんが、御手洗の港町としての歴史を見てきたのは唯一、この楠だけなのかもしれません。

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