時は再び幕末です。この日、京都で有名な七人の公家のうち五人がこの地にやってきました。
七人の公家は「七卿」と呼ばれ、尊皇攘夷の急先鋒として知られる人物でした。尊皇攘夷とは「天皇を中心に国をつくり、外国を追い払う」という意味ですが、そのやり方でもめることになり京都から追放、長州藩に逃れる事件が起こります。それから1年後、長州藩が京都でクーデターを計画するタイミングにあわせて五人の公家が再び京都に向かおうとするのですが、長州藩が計画に失敗したと聞いて、途中で引き返すことになります。そのとき、五人の公家が御手洗に立ち寄り、宿泊したのがこの家です。潮待ち風待ちのため2泊を過ごす中で「この家から見える四国の景色が素晴らしい」と誉めていたという逸話も残っています。
ちなみに、この家は庄屋を務めた立派な家で、道路がない時代はその敷地も含め、とても大きな家でした。五人の公家が泊まった日。それは、この家の主にとっては忘れられない日だったに違いないことでしょう。