〜1830年3月15日〜

住吉神社はこの日、恵美須神社に次いで生まれた神社です。

御手洗という港町ができた当初は恵美須神社の前が船着場となりましたが、その後、瀬戸内海にもライバルとなる港が増えていきます。そこで御手洗も港をアップデートするため、大きな波止場をつくることにしました。そして、1年の月日をかけて千砂子波止を完成させました。その千砂子波止を鎮守する神社をつくらないかと、大阪の商人に飲みの席で話を持ちかけたところ、ちょうど厄年だからという理由で「あい、わかった」と二つ返事で建ててくれたといいます。

商人だけではありません。この神社には遊女からの寄付もたくさん集まりました。神社にある石に刻まれた名前を見てみてください。若胡子屋の女性が寄付したことが分かります。この神社が完成したときには、花魁たちによるパレードも行われたといいます。御手洗には吉原遊廓のような門がなく、ここから先はお茶屋であるというような線引きもありません。御手洗の繁栄を支えていたともいえる遊女ですから、村の人たちも分け隔てなく接していたといいます。そんな遊女たちは住吉神社に何を願っていたのでしょうか。

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