御本社と、生駒山の方角に15分ほど登ったところにある上之社を繋ぐ参道に、石切参道商店街がある。商店街の中にはお菓子やみやげ物を扱う店もあるが、占いの店も多い。一体、なぜなのか。占いの話の前に、この参道の歴史について知る必要がある。
昔この地には、たくさんの水車小屋が建っていた。生駒山から流れてくる水で水車を回し、粉を挽いた。生駒の山は、修験者が修行の場としており、山で生活をする彼らは植物や鉱物の専門家でもあった。鉱物のあるところに生える植物は薬になるため、採取したものを村の人と物々交換をして暮らしていた。村の人はその植物を粉にして、薬として売り出した。こうして江戸時代は、和漢薬のお店が参道に集まった。
参道が大きく発展をとげたのは、大正時代。鉄道が敷かれ、石切駅が開業すると近畿一帯から多くの観光客が訪れた。しかし時代が昭和になり、電力の発達とともに水車は次第に姿を消していった。上之社よりさらに奥に進んだ場所にある「辻子谷水車郷」では、復元した水車を見ることができる。
戦後、石切さんは次第に「ガン封じの神さん」としての信仰が厚くなっていく。病気と共に送る人生。行き場のない思いを抱える人に寄り添う人生相談所が、参道に増えていった。そしていつしか「占い」という形に変わっていったのだ。不安や悩みからは逃れられぬ。それなら少しでも心を軽くしたいと、何かに頼る。そんな気持ちは、昔も今も変わらないのかもしれない。