経島と矢島は、いまは陸続きのひとつの島ですが、もともとは二つに分かれていました。1802年の大地震による大地の隆起によって、ひとつに結ばれたのです。成り立ちは異なりますが、佐渡島そのものも、かつては大佐渡と小佐渡という二つの島が、長い年月をかけて土砂が堆積し、やがてひとつの島となりました。

さて、この島が「経島」と呼ばれるのは、日蓮にまつわる伝説が残っているからです。

1271年、法華経を説いた日蓮は鎌倉幕府の逆鱗に触れ、佐渡へと流されました。2年3ヶ月あまりの流人生活ののち赦免されますが、その赦免状を携えた弟子のひとりが嵐に遭い、漂着したのがこの経島だったと伝えられています。暗い夜、日朗は一心に経を唱え続け、一夜を明かしました。その姿を近くの寺の住職が見つけ、助けたといわれます。

赦免状は本来、役人が届けるもの。弟子が難破して持ち込んだというのは、史実というよりも、師を思う弟子たちの想いが生んだ物語なのかもしれません。

一方の矢島には、この島の竹で作られた矢が、妖怪ヌエ退治に用いられたという伝説が残ります。経と矢。二つの名をもつこの島には、過去と現在が静かに重なり合っています。

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