かつてこの場所には、三重塔、金堂、講堂、鐘楼。数十にもおよぶ伽藍が立ち並び、「西の日光」と称された壮麗な寺院、内山永久寺がありました。

その歴史は、平安時代にさかのぼります。当時の天皇によって創建され、文化と信仰が交差する雅な世界を形づくっていました。永久という名にふさわしく、ここには仏の教えとともに、長く穏やかな時が流れていたのです。

しかし、明治時代に入ると、その運命は大きく変わります。新たに始まった神仏分離令、廃仏毀釈の波。それは、長く日本で育まれてきた神仏習合、神と仏が共にあるという祈りのあり方を改めるものでした。この影響で内山永久寺は、瓦一枚に至るまで持ち去られ、伽藍は跡形もなく消えてしまいます。

しかし、すべてが消え去ったわけではありません。この丘に立ち、そっと目を閉じてみてください。祈りとは、建物や形に宿るものではない。そこに込められた想いは、たとえ形が失われても、消えることはない。この静かな風景が、そっと教えてくれるかもしれません。

この場所から、さらに山の辺の道を進んでいくと、道ばたにひっそりとたたずむ小さなお地蔵さまに出会うでしょう。苔むした石には、花や水が供えられ、誰かの祈りの跡が静かに息づいています。こうした地蔵は、民間の信仰から生まれたもの。亡くなった子どもを弔い、道を行く人の無事を願い、あるいは失われた寺の記憶をとどめ、名もなき人々の祈りを、そっと受けとめています。

大きな寺院が壊されても、小さな祈りは土地に根づき、今も続いています。それはまるで、野にひそむ草のような祈り。踏まれても、刈られても、また生えてくる。静かで、しなやかで、そして強い祈り。

旅の途中でお地蔵さまを見かけたら、どうぞ足を止めてみてください。そこに宿っているのは、時代を越えて受け継がれてきた、目に見えない祈りの風景なのかもしれません。古代から続くこの道は、あらゆる時代の祈りを受け止めてきました。そして今、そのひとつに、あなたの歩みも加わったのです。

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