「表座敷」はいわば応接間、色々な人と会う座敷です。
主に藩の重役や賓客を迎える部屋で、後に士分に取り立て直弼に忠誠を誓い務めた国学者、長野主膳と初めて会い、三日三晩議論し合ったのもこの部屋でした。
屏風は彦根藩お抱えの絵師、中島立泰の絵です。
手前のケースに入っている食器は埋木舎で来客をもてなした時に使ったものです。奥には火鉢や湖東焼の植木鉢もあります。
左のケースの展示品も直弼が使用した食器などです。
右上の錦絵は天皇の江戸遷都の際の行列で彦根藩士は天皇をお守りする近衛兵として御供をして、江戸城で天皇をお迎えしました。
大久保小膳も隊長としてこの行列に参加します。
左上、長押(なげし)の上に「忠義動人」の額があります。
明治維新後、革命政府は武士の反乱を恐れ、全国のお城を壊しました。彦根城も取り壊しが始まりましたが、大久保小膳は時の内務大臣、土方久元の邸宅(東京都文京区)の門前で毎朝土下座して彦根城保存の懇願をし、ついに土方久元は例外としてこれを取り上げ、明治天皇の琵琶湖周遊の機会を捉え、大隈重信に彦根城視察を依頼し、彦根城保存に繋がりました。その後、土方久元は 大久保小膳の井伊家、彦根藩への忠臣を称え、小膳へ「忠義動人」の自筆の額を贈呈したのです。