奥座敷・御居間とも云い、井伊直弼が日常、使用していた自室です。埋木舎で一番良い南東に面しており、庭の枯山水や四季折々の草花や植木も多く、小さな観音の祠も正面に見えます。八畳二間続きで、奥には四畳半の控室を経て茶室に通じています。

また、部屋の奥には二畳の化粧の間に続き、大小の便所もあります。部屋の北面にも廊下があり、東南北三方開け放され、蒸し暑い彦根の夏も想定し、風通しよく設計され、南北の庭も眺められます。

御居間の展示物を見て頂きましょう。
正面、欄間の上の「埋木舎」の額は、直弼公の孫、直忠公より大久保小膳に与えられた直筆の書となります。

床の間の上の掛物は彦根藩お抱えの絵師、狩野探幽が描いたものです。正面の掛け軸は歴代井伊家藩主の絵であり、直弼公13代は右の列の一番したにあたります。
直弼公と大久保小膳の対面人物像は当時の雰囲気を出すために置いています。

和歌の掛け軸や廊下にある和歌は全て直弼公が埋木舎時代に詠まれた歌となります。

御居間の前に小さな枯山水の滝があり、その奥に小さな祠があり観音様が祀っており、直弼は毎日拝んでいたとのいいます。

庭には観賞用だけではなく、何十種類の病気に効く漢方薬になる草花が植えられており、漢方薬の専門家がみて驚いたというエピソードがあります。

因みに昭和17年頃、軍国主義華やかな頃、隣の護国神社の拡張計画が持ち上がり、憲兵3名が土足で埋木舎にあがり込み「埋木舎を護国神社へ寄附しなければ戦車を出してぶっ壊す」と恫喝したことがあり、その際、小膳の孫の3人の兄弟は白装束で切腹覚悟で交渉し、憲兵を引き下がらせたとのことです。

その後、その長兄の京都帝国大学時代の友人に近衛文麿がおり、近衛氏経由、時の陸軍幹部の東条英機にも頼み、埋木舎接収が取り止めとなったとのエピソードがあります。

戦後、NHK大河ドラマ第一号の「花の生涯」の作者、舟橋聖一氏や歌舞伎や映画で直弼役を担った尾上松緑や長野主膳役をやった佐田啓二、昭和63年の二時間ドラマでは北大路欣也、昭和58年に秋篠宮様が滞在されたのもこの部屋です。

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