屋根のように平らな形をした、大きな台地のような島影が見えてきます。
その名も「屋島」。
ここは、瀬戸内の歴史の舞台装置として、幾度も語り継がれてきた島です。

時は平安の終わり。
栄華を誇った平家は、都を追われ、ついにはこの屋島に逃れてきました。安徳天皇の内裏を築き、瀬戸内を背にして最後の拠点としたのです。

けれど、彼らの運命を変える源氏の大軍が、もうそこまで迫っていました。
源義経率いる軍勢は、嵐の夜、大阪湾から一気に船を漕ぎ出し、追い風を帆に受けて四国へ。夜明けには、すでに屋島を見下ろす浜辺に立っていたと伝えられています。

戦のさなか、もっとも有名な一幕が生まれます。
夕暮れの海、平家の舟の舳先に扇が掲げられました。
「これを射抜いてみよ」──それは勝敗を占う儀式のような一矢です。

義経は弓の名手、那須与一を呼びました。
与一は一瞬ためらいます。波に揺れる小舟の上、小さな扇を射抜くなど、不可能に近い。

しかし、覚悟を決めた与一は、馬から海へと身を乗り出しました。
張り詰めた沈黙を破り、矢は放たれます。
ひゅう、と笛を鳴らしながら、美しい弧を描いた矢は、見事に扇の要を射抜きました。

与一の一射は、敵も味方もなく、戦場を一瞬だけ感嘆と驚きで包み込みます。

その後の戦いで敗れた平家は、やがて西へと退き、壇ノ浦の戦いで滅びの時を迎えます。
けれど、その前夜、屋島は確かに「海に浮かぶ戦場」として歴史に刻まれたのです。

フェリーの窓から見える屋島の平らな稜線は、ただの地形ではありません。
それは、栄華と衰亡、勇気と無念、無数の人々の想いを映し出す巨大な舞台なのです。

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