女木島、男木島の反対側に静かに横たわる小さな島影が見えます。
それが大島。外周は7kmあまりです。

屋島の戦いで敗れた平氏の武士たちがこの島に逃れ、その墓に植えられた松が「墓標の松」として今も残っています。
戦の栄枯盛衰を物語る一本の木。
それは、この小島が古代から人々の逃避と祈りを受け止めてきた場所であることを示しています。

そして近代、この島には新たな歴史が刻まれます。
1909年、国立ハンセン病療養所「大島青松園」が開設されました。
入所者とその家族、職員のみが暮らす「療養の島」となり、外の社会から切り離された生活が長く続きました。

けれど、いま大島はその記憶を閉ざすのではなく、むしろ社会に開いて伝えようとしています。

社会交流会館では、かつての入所者の住まいを改築した展示施設で、ハンセン病の歴史や基礎知識を学ぶことができます。
島内には記念碑や慰霊碑も整備され、訪れる人々に深い問いを投げかけています。

さらに瀬戸内国際芸術祭では、入所者とアーティストの交流から生まれた作品が展示されました。

フェリーの窓から眺める大島は、一見すると瀬戸内のどこにでもある穏やかな島影。
けれど、この小さな土地が歩んできた時間を知ると、その輪郭は静かに重みを帯びて迫ってきます。

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