昼に響いていたのが石を切る音ならば、夜を包んでいたのは映写機の唸りでした。

ここ「光劇場」は、石切りの最盛期に1万人を超える人々が暮らしていた北木島に、4館あった映画館のひとつで、当時の設備や映写機がそのまま残されており、館内はレトロな雰囲気。今も、石切りの文化を伝える映像が上映され、過去と現在をつないでいます。

石切りの丁場では、三人一組でノミを打つハンマーを振り下ろしました。まるで餅つきのようにリズミカルに。石工たちが息を合わせるために歌われたのが「石切唄」です。声が大きく、歌のうまい者は賃金も高かったといいます。朝から晩まで大汗を流し、危険な仕事に挑み続ける日々。だからこそ、この劇場は心の拠り所となり、何よりの楽しみでした。

そして体を支えたのは、日々の食事。石工飯と呼ばれる食事は、塩分を補い、喉を通りやすくする工夫が凝らされていました。危険な仕事に挑む前のげんかつぎや、無事を祈る意味も込められていたといいます。

やがて時代は進み、鉄やコンクリートが建築の主役となり、海外産の安価な石も輸入されるようになりました。全国を支えた北木石の役割は薄れ、島の丁場も次々と閉ざされていきます。石切りの音がやむとともに、島の人口も減少し、光劇場も一度は閉館し、空き家となりました。
それから長い年月を経て、2014年、北木ノースデザインプロジェクトの企画によって劇場は再び息を吹き返しました。「きっと役に立つときが来る」「未来に活かしてほしい」かつてこの建物を残した人々の思いが、ようやく形になったのです。

光劇場は、いまも島の文化を映し出しながら、静かに未来を照らしています。

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