高さ4.5メートルに積み上げられた石垣。
その隅(かど)は、扇を広げたように反り上がり、「扇の勾配」と呼ばれる見事な曲線を描いています。美しさと強さを兼ね備えた最高峰の石垣仕事。そこには、まるで城のような誇り高さが漂います。
この石垣を形づくるのは、島の青木地区で切り出された「青木石」。淡い青を帯び、硬さと粘りを兼ね備えた銘石です。秀吉の大坂城にも使われたと伝わり、数百年の歳月を経てもなお微動だにしない姿は、石の格と人の技を物語っています。
その石垣の上に建つのが、廻船問屋として栄えた尾上家の邸宅。江戸末期に築かれた屋敷は総ケヤキ造りで、「塩飽大工」と呼ばれた職人たちの手によるものです。彼らは塩飽水軍の造船技術を受け継ぎ、船の滑車の原理を窓の開閉に応用するなど、実用と美を融合させました。
島を歩けば、尾上邸の外にも石の記憶が息づいています。たとえば「波節岩灯標」。油を灯して船を導いた灯台で、対岸付近には油を貯蔵する「石蔵」が残されています。さらに王頭山山頂付近の王頭砂漠では、風化した花崗岩による、空中庭園のような光景が広がります。
尾上邸の敷居をまたぐとき、そこにあるのは単なる歴史ではありません。石が築いた富と、石に支えられた暮らし。江戸から続く時間の重みが、静かに目の前に広がっていきます。