器は、つくる人によって、まったく違う表情を見せます。
土も、釉薬も、焼き方も、同じはずなのに──なぜでしょうか。
それは、器のなかに、その人の人生が映っているからです。

この丹波の里には、組合員50軒の窯元が今も営まれています。
工房を訪れると、親子でつくった作品が並んでいることがあります。
若い作り手は、自由な発想で個性を磨こうとする。
けれど年を重ねるうち、次第に父の作風を追いかけるようになることもある。
それは、ただ形を真似るということではありません。
家業という「背中」を見て育ったことの、意味を受け取るということです。

丹波焼の窯元には、2つの顔があります。
家業としての焼き物と、作家としての焼き物。

たとえば、あるうどん屋のために、何百という丼を作り続ける。
その一方で、自分の名を刻んだ作品を個展で発表する。
大量生産の機械ろくろと、想いを込める手仕事──
それは、日々を支える営みと、自分を深める表現との往復です。

この地の陶工には、地元出身者がとても多いといいます。
ある人は、同級生5人のうち4人が陶工の子どもで、その3人が後を継いだとか。
それは、幼い頃から、暮らしの中に焼き物があり、誇りがあり、
何代もさかのぼれる血のルーツと隣り合わせに生きてきたからです。

子どもたちはいつのまにか気づくのです。
「いま自分がろくろをまわしているこの場所で、何百年前のご先祖も、土に向き合っていたのだ」と。
それは、ルーツと共に生きるという贅沢な人生。
伝統という言葉では足りない、土地に根ざした感覚です。

もし、気になる器に出会ったら、ぜひ、その作り手の話を聞いてみてください。
どんな景色の中で、どんな想いで、どんな音のなかで生まれたのか。
その一言一言が、器の奥行きを変えてくれるはずです。

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