仙巌園は、江戸時代初期に築かれた島津家の別邸で、代々の当主に受け継がれてきた大名庭園です。では、なぜこの仙巌園が世界文化遺産に選ばれたのでしょうか? その答えは、今から150年以上前、幕末から明治にかけてこの地で行われた、近代化への取り組み「集成館事業」の中にあります。
幕末の当主・28代島津斉彬は、世界を見渡す広い視野と、強い志を併せ持つ人物でした。当時の東アジアには、産業革命によって力をつけた西欧列強が軍事力を伴って進出し、植民地化の危機が迫っていました。このことに強い危機感を抱いた斉彬は、日本が一丸となって近代化する必要性を訴え、率先して行動を起こしたのです。
その第一歩が、海からの脅威に備えるために、鉄製の大砲と洋式船を建造することでした。斉彬は薩摩藩主に就任するや、直ちに大砲鋳造のための施設・反射炉の建設を開始します。その敷地に選ばれたのが、仙巌園に隣接したこの一画でした。やがて反射炉の周囲には関連する工場や造船所、ガラス工場に蒸気機関の研究施設までもが築かれ、当時の日本では類を見ない近代的な工場群が形成されます。そこには、軍事だけに偏ることなく、産業を育成し、強く豊かな国を築くことによって、諸外国と対等な関係を築こうとする斉彬の考えが反映されていました。
斉彬によって「集成館」と名付けられたこの工場群は、彼の死後も受け継がれ、日本の近代化・工業化の先駆けとなります。こうした歴史が世界的に評価され、「明治日本の産業革命遺産」として世界文化遺産に登録されることとなったのです。