大きくあしらわれた島津家の家紋、その由来とは?

目の前にそびえる巨大な門は、明治28年(1895年)に仙巌園の正門として築かれたものです。当時の仙巌園は島津家の本邸となっていたため、まさに当主の住まいにふさわしい威容をたたえています。

門の内側を見ると、正面には島津家の家紋として有名な丸十紋がほどこされています。しかし実は、この家紋は元々外側の丸がない十字だけの紋章でした。戦国時代の終わりごろから、丸で囲んだ形に変化していったと考えられています。

では、なぜ島津家は十字の紋章を家紋としたのでしょうか。その由来には諸説あり、災いから身を守るため十字を切る中国の風習に基づくという説や、鎌倉幕府を開いた源頼朝が、島津家の初代である島津忠久に与えたという説もあります。いずれにしても、島津家の始まりにさかのぼることがほとんどです。

次に、丸十紋の両脇を見てみると、植物の桐をかたどった紋章があしらわれています。この桐の紋章も島津家の家紋のひとつであり、京都の公家である近衛家から授けられたものであるとされています。これもまた、島津家のルーツと関わっています。

島津家の初代・忠久は、源頼朝の子供であるという伝承を持つ人物で、鎌倉幕府の御家人でした。その一方で、忠久は近衛家の役人も務めていました。こうした縁から忠久は、近衛家の領地の一部であった南九州の広大な荘園・島津荘の管理を、源頼朝から任されることになります。実は島津家の名字は、この島津荘にちなんで名乗ったものです。桐紋も、このような近衛家との深い関係の中で授けられたと伝わっています。

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