江戸時代、鹿児島における島津家当主の住まいは鹿児島城でした。しかし、歴代当主の多くは、参勤交代で鹿児島に戻った際に別邸である仙巌園に滞在しています。 そのため、この屋敷は島津家によって大切に受け継がれてきました。
この屋敷を島津家の本邸としたのが、最後の薩摩藩主であった29代当主・島津忠義でした。明治維新の後、廃藩置県によって江戸時代以来の藩が廃止されると、忠義は鹿児島城を離れ、一時的に東京で暮らします。しかし間もなく忠義は鹿児島へと戻ることを決意し、本邸として仙巌園を選びました。明治17年(1884年)、忠義は大改装を実施して当主の住まいにふさわしい姿に整えますが、その状態は現在までよく保存されています。
中心となるのは、正面の庭に面した巨大な「謁見の間」。建材には木目がまっすぐ整った杉が用いられ、欄間には精緻な透かし彫り、天井にはシャンデリアまで設えられています。ここでは島津家当主による賓客の接待や、様々な儀礼が行われました。廊下まで畳張りとなっており、数多くの人々が当主の前に列座し、威儀を正したことがうかがえます。
この他にも、屋敷の随所に当主の住まいとしての格式や、建築のこだわりを見ることができます。各部屋にあしらわれた釘隠しもそのひとつです。そのデザインは11種類にも及び、忠義の居間や寝室に用いられている「桜島大根」をデザインした薩摩焼の釘隠しや、謁見の間の周辺に用いられているコウモリの形を模したものが目を引きます。コウモリは中国では縁起のいい生き物とされており、ここにも海外文化を取り入れた鹿児島・島津家ならではの要素を見ることができます。