仙巌園は、江戸時代初期にあたる万治元年(1658)、19代島津光久によって築かれた別邸です。桜島と鹿児島湾を借景として庭の景観に取り入れ、望嶽楼、千尋巌、曲水庭、江南竹林など中国文化の影響がみられる点を特徴とします。歴代当主たちの安らぎの場として愛され、時には国内外の要人をもてなす迎賓館の役割も果たし、幕末期の外交史において重要な舞台の一つになりました。
明治時代に入ると、29代忠義が居所を仙巌園に移し、その子30代忠重の上京後も鹿児島における生活拠点として機能し続けています。
第二次世界大戦後、鹿児島市へ庭園の管理を委託し、昭和24年(1949)より市民への一般公開が始まりました。昭和32年(1957)に株式会社島津興業に返還され、今日まで同社によって運営されています。
昭和33年(1958)に国の名勝に指定、平成27年(2015)には世界文化遺産「明治日本の産業革命遺産」の構成資産に登録されました。