※地下遺構は現在公開していません。

鑽開台とは、砲身に穴(砲腔)を開けるための工作機械のことをいいます。

鉄製大砲の場合、鋳型の段階で砲腔を設けて鋳造すると、気孔(気泡)が生じやすくなり、砲身が破裂する危険性がありました。そのため、鋳造後に中ぐり機などを用いて砲腔を加工する必要があり、その際に使用されたのが鑽開台です。

28代島津斉彬は、反射炉の建設と並行して、嘉永6年(1853)から鑽開台の整備に着手しました。オランダ軍人ヒュゲニンの著書『ルイク国立鋳砲所における鋳造法』を参考にし、約2年かけて完成させたと伝えられています。

現在、その遺構は確認されていません。しかし、佐賀藩士・千住大之助が描いた「薩州見取絵図」(佐賀県武雄市所蔵)には鑽開台の施設が描かれており、鶴嶺神社横の駐車場付近に位置していたと推定されています。施設の後方には吉野疎水を利用した水路が敷かれ、設置された機械は水車の動力によって稼働しました。

一度に6門の砲身に穴を開けることができ、その精度も非常に高かったといわれています。

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