29代島津忠義の四女である山階宮常子妃の遺歯と遺髪を納めた墓碑です。

常子妃は、明治7年(1874)に島津忠義の四女として生まれ、結婚まではご家族とともに仙巌園で生活されました。祖父・島津久光や父・忠義の影響を受け、幼少期から和歌、書道、茶道、絵画、筝曲などの伝統芸術に深い造詣をお持ちであったと伝えられています。

明治35年(1902)に上京され、山階宮菊麿王の後妃となられます。常子妃は子どもの養育に専念し、宮家を支える役割を果たされました。結婚後も鹿児島への愛着を強く持ち、菊麿王やお子さまたちとともに鹿児島カルタを楽しまれたほか、鹿児島県出身者とのつながりも大切にされました。大正6年(1917)には、鹿児島市・照国神社近くに建立された島津斉彬・久光・忠義の銅像の除幕式にも参列されています。

昭和13年(1938)、常子妃は64歳で薨去。その郷土を愛したご人柄を偲び、同年、ゆかりの地である磯の地に歯髪碑が建立されました。碑文は、菊麿王と先妃の次男である侯爵・山階芳麿による揮毫です。

Next Contents

Select language