このダムは、明治25年(1892)に水力発電用の貯水ダムとして建造されたものです。仙巌園北側にあった就成所(29代島津忠義が開いた工場群)の発電室へ保津川上流の水を導き、鋳物の水車を回すことで邸宅や就成所一帯に電気を供給していました。

基礎部分は日本在来の石垣構造ですが、ダム本体には控壁(壁の突出部分)が設けられるなど、洋式建築の要素も見られます。また、ダムの隅には砂や泥を取り除くための排出口も設けられ、水流が効率的に管理できるよう工夫されていました。

水力発電施設が整備される以前は、仙巌園内の電気は集成館に設置された発電装置によってまかなわれていました。しかし、就成所からの送電に切り替えた際には、電圧が低かったために明かりが暗くなったとの記録があります。このことからも、園内の水力発電用ダムは、まだ発展途上にあったと考えられますが、今日まで良好に保存されており、近代鹿児島の電気史を物語る重要な遺産といえます。

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