この建物には、まだ誰にも気づかれていない時間が潜んでいます。
それを見つける物語が、いま、ここから始まります。
中川政七商店のはじまりは、三百年以上前の江戸時代にさかのぼります。
1716年。
ここ元林院町(がんりいんちょう)で、「奈良晒(ざらし)」の問屋として商いが始まりました。
奈良晒は、麻の布。
手で績(う)み、手で織り、川にさらして、白く仕上げます。
奈良には、きれいな川がいくつもありました。
布の白さは、水の清らかさから生まれます。
その白は「麻の最上」と評され、徳川幕府の御用品にもなりました。
武士の裃や僧侶の法衣。いわば当時のフォーマルウェアです。
奈良は、かつて都が置かれた土地。
位の高い人々が集い、格式ある布が求められました。
風土と、歴史と、暮らし。
その重なりのなかで、奈良晒は育っていきました。
けれど、明治になると時代は大きく変わります。
サムライはいなくなり、武士の衣装も不要になりました。
奈良晒の需要は減り、廃業する仲間も増えていきます。
それでも、中川政七商店はやめませんでした。
汗取りや産着へ。
奈良晒の新しい用途を開発しながら、商いを続けていきます。
さらに時代が進み、職人が減り、思うように作れなくなったとき。
卸すだけではなく、自らつくる道を選びました。
もう一度、ものづくりの原点に立ち返るように。
かたちは変わっても、人の手でつくることだけは、手放しませんでした。
中川政七商店は、いまも「手績み手織り麻」として、
江戸時代と変わらない工程でつくり続けています。
それでは、母屋である「旧 遊中川 本店」に行ってみましょう。
かつては住居であり、商いの場でもあった空間です。
母屋には、奈良らしい風景も残っています。
たとえば、鹿よけの柵。
奈良公園には、およそ1300頭の鹿が暮らしています。
人と野生の鹿が、これほど近くで暮らしている町は、世界でもめずらしいかもしれません。
その歴史は古く、春日大社が創建されたとき、神様が白い鹿に乗ってやってきた。
そのことから、鹿は神様の遣いとして、この地域で大切にされてきました。
だから、追い払うのではなく、傷つけないよう工夫する。
鹿よけの柵は、建物も守りながら、鹿も守る。そのためにあります。
母屋の扉を開けたら、天井も見上げてみてください。
太く長い竹が、一本、渡されています。
東大寺の修二会、通称お水取りで使われた松明の竹。
奈良時代から千二百七十年以上、途絶えることのない伝統行事です。
平成最後に使われた一本が、いま、ここにあります。
そして、もうひとつの竹。
レジの前でも、天井を見上げてください。
そこに渡された竹は、奈良晒を検品するために使われていたもの。
大きな布をかけ、光に透かし、目で確かめる。
竹竿を見上げながら、かつてこの場所に満ちていた白い布の光を、想像してみてください。
四十年ほど前まで、この場所は卸問屋でした。
商いは広がり、やがて建物は手狭になります。
移転が決まり、空いたこの建物をどうするか。
そうして生まれたのが「遊 中川」。
中川政七商店、はじめての小売店です。
二階でのれんやコースターをつくり、一階で売る。
ときに若い工芸作家が個展を開くこともありました。
いま、みなさんが思い浮かべる
中川政七商店の原点ともいえる場所なのです。
さて、ここからは、七頭の鹿を探してみてください。
鹿猿狐ビルヂングのどこかに、三百年の時間を見てきた鹿たちが隠れています。
その姿を見つけたら、その声に耳を澄ませてみてください。
七頭の鹿を追いかけていくうちに、この店が、なぜ三百年も続いてきたのか。
その理由が、ふと伝わってくるかもしれません。