富士山の山頂で迎える朝日を、昔の人は「御来迎」と呼びました。

来迎とは仏教の言葉で、極楽の世界から仏が姿を現し、人を迎えに来る瞬間のことです。
つまり富士山の山頂で昇る光は、ただの太陽ではありませんでした。
それは「仏が現れる瞬間」だと考えられていたのです。

では、なぜ富士山でそのように思われたのでしょうか。

理由のひとつは、この山の特別な自然にあります。
富士山は日本でいちばん高い山で、周囲に高い山がない独立した山でもあります。

そのため夜明けのとき、山頂では特別な光景が生まれます。
太陽が昇ると、富士山の影が西の空へ長く伸びていきます。
まるで、もうひとつの富士山が空に現れるような姿です。
これを「影富士」と呼びます。

さらに条件がそろうと、もうひとつの不思議な現象が現れます。
太陽を背にして雲を見ると、自分の影が光の輪に包まれて映ることがあります。

これは「ブロッケン現象」と呼ばれるものです。

雲海の上に、光の輪をまとった影が現れる。
昔の人たちはその姿を見て、仏の姿を思い浮かべました。
こうした神秘的な光景が、御来迎のイメージと結びついていったのかもしれません。

日本では昔から、太陽を神聖なものとして迎える文化があります。
新しい年の朝に「初日の出」を見に行く習慣も、そのひとつです。
富士山の御来光もまた、太陽の光を祈りとともに迎える、日本の古い信仰の延長線上にあるのかもしれません。

江戸時代、富士山に登った巡礼者たちは夜の闇の中を歩き続けました。
そして夜明けの瞬間、山頂で光を迎えます。

それは景色を見ることではなく、「御来迎を拝む」という行為でした。
つまり富士山で朝日を見ることは「神仏に出会う体験」だったのです。

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